はてなブログに投稿する個人的見解によるはてな解明日記

完全に個人的な見解で「なぜ」を解明します。

英雄か怪物か「イミテーション・ゲーム」

二週間に一度更新という超スローペースであるのにも関わらず、二週間更新が遅れる事でおよそ一ヶ月もの間音沙汰が無かったことに関して言うことがあるとすれば、大変申し訳ないというほかございません。

 


体感的にもしっかりと一ヶ月の流れを感じ取っていましたので、気づいたらブログの更新日を過ぎていたことということもなく、しっかりと自覚しながら、あ〜更新しないとなへへへ〜〜、、、うひょ〜〜〜!!みたいなテンションで過ごしていました。

 


この一ヶ月の間、思い返せば引っ越そう、と思い立ち、ネットで賃貸物件を眺め始めたことから始まり、ダーツを始めよう、と家用のダーツ盤をネットで検索し、ベッドを買おう、と「ベッド 安い」でネットで検索し、ジムに行こう、と近場のジムをネットで検索し、スポーツウェアを買おうとネットで検索し、検索し、検索し…
繰り返した果てになぜか「ベネディクト・カンバーバッチ」に辿り着くことに相成りました。

 


何がどうなって、どうつながったら最後に検索した覚えのある「スポーツウェア」から「ベネディクト・カンバーバッチ」に行き着くのかわかりませんが、iPhoneSafariを開くと、そこには見間違えようのない顔NO.1をぶっちぎりでゆく彼が佇んでいました。そうして、あ、「イミテーション・ゲーム」いいじゃん。と思い、ようやく重たい腰を上げ上げにしてブログを書き上げることにしました。そういうわけでまた二週間おきに更新再開します、よろしくお願いします。

 


・「イミテーション・ゲーム」とは

舞台は第二次世界大戦時のイギリス。ナチスドイツの用いる世界最高峰の暗号機、「エニグマ」を解読するために雇われた天才数学者、アラン・チューリングの物語です。

 


劇中で繰り返される台詞、「時として誰も想像できないような人物が、想像できないような偉業を成し遂げる」

この言葉が示す「誰も想像できないような人物」を表すように異質、かつ滑稽に描かれているアラン・チューリングさんですが、そんな彼が「想像できないような偉業」を成し遂げる過程を描いた映画です。 

 


今回は「アラン・チューリング」と彼を演じる「ベネディクト・カンバーバッチ」、それと「映画全体の印象」について焦点を当てて書いていこうと思います。

 

・天才数学者「アラン・チューリング

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気難しい天才ぶりが描かれているアラン・チューリング

彼の性格的な特徴として、
・コミュニケーション不全
・同性愛者
・傲慢
・浪費家(必要経費だが)
といったものが挙げられます。

このように優秀かつ傲慢、更にはコミュ障となれば、彼の言っていることが正しくとも、不信感やある意味では妬みからも周りには否定されがちです。そうして周囲からの信用を得られない彼は、劇中では誰にも期待されておらず、成功する事など期待されない、「誰も想像できない人物」となってしまっています。

 

実はサヴァン症候群だったのではないかと言われるアラン、サヴァン症候群には有能型と天才型の2通りがあります。
サヴァン症候群の特徴として、1分野で突出した才能を持っていると言われていますが、有能型はその個人の中だけで、天才型は一般的な人々を含めた上での突出した才能とされています。

 


アランは典型的な天才型サヴァン症候群の特徴を持っています。
言葉には本来の言葉のもつ意味とは別に、シチュエーション毎に異なる意味を持つことが多々ありますが、アランはその意味を理解できません。
物事を表面的に捉えることしかできない為です。いわゆるコミュ症な彼は、コミュニケーションがものをいうチームプレイでは信用を得られはしませんが、表面上の意味がそのまま本質的な意味となるものには、凄まじい力を発揮します。
例えば数学、科学はもちろんクロスワードパズルやちょっと関係は薄いかもしれませんが、一人で出来る長距離走なども得意だったそうです。

 

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コミュ症すぎるアランに戸惑うジョン。いい顔してます。
 

 

個人的アラン随一のセリフ

「偶然さ、壊れた時計も日に2度、正しい時を示す」

 

・「ベネディクト・カンバーバッチ」が演じるアラン・チューリング

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この手の天才に見られがちな特徴を見事に捉えています。
・断定的でどもりがちな喋り方
・コミュニケーション不全者の感情の高ぶり方
このような特徴を捉えたベネディクト・カンバーバッチさんはもう、アラン・チューリングそのものです。カンバーバッチさんの事を調べていた際、すごく印象に残ったセリフがありましたのでご紹介します。

 

スタートレックでジョン・ハリソンを演じた事について
「今回は、クランクインまでが2週間しかなかったので、事前に時間をかけての役作りは難しかった。だから、演技を続けながらジョン・ハリソンというキャラクターを進化させるという方法をとったんだ。上手くできたとは思っているけれど、恥ずかしながら数シーン、ハリソンになりきれてないところがある。僕しかわからないとは思うけど、やっぱりダメだよね」

 

 

このセリフから彼の演技に対する真摯さ、そして演じる上で本当に、「なりきって当然」という自分の中にさえもリアリティを求める姿勢が見られて、個人的にすごく好感を持てます。

 

 

映画終盤の彼の演技が個人的に非常にツボでした。風俗壊乱罪(同性愛の罪)によって有罪となり、マシン(クリストファー)と離れたくないが為に、化学的去勢を余儀なくされた彼は、訪ねて来た元婚約者ショーンの前で泣き崩れます。
その時のアランから漂う悲哀さは本当に哀れすぎて、素晴らしいものだったなと思います。これがいわゆるイケメンや美男子であれば、「絵」として完成されしまったならば、ここまでの悲哀さは出せなかったでしょう。個性的な顔をしているベネディクト・カンバーバッチだからこその技だったと思います。

 

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・映画全体の印象

見直してて思いましたが、随分硬派な映画だなと思いました。
もちろん、戦時下の映画ですからそんなにファッショナブルにしても仕方ないのですが。ほとんどのシーンで主役として写しているのは人だけですし、特別洒落たショットも見当たりません。
全体的に暗い雰囲気で、青みがかってるような印象を受けます。これだけだと、もっと落ち着いた印象を受けるものだと思っていましたがそうでもなく、何が原因なのかなーと思って見てたのですが、目を引かれるものが多いためでした。

 

・画面に映る人が多い

 

戦時下の軍関係であればもちろん、人は多いし、慌ただしく動いています。この映画もやはりその慌しさを物語とは関係ないけれど、画面の中で表現しているシーンが多く、そのため落ち着いた色味にも関わらず、ごちゃごちゃして見えています。それに加えて、個人的な印象ですが一昔前のイギリスの雰囲気って結構泥臭いというか、現在のスタイリッシュとはかけ離れています。言うなれば渋い。
それらが相まって、物語の舞台が戦場である事もあり、雰囲気まで硬派に仕上がっています。

 

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英国+列車+ツイードジャケット=渋い。

 

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戦時下のシーンでは多くの人が行き交っています。奥に映したいものを配置し、その前を通行人が横切る。たったそれだけのシーンですがこれが結構落ち着かない印象を抱かせます。

 

現代でのアラン・チューリング

レッチリーでの業績は国家機密であり、戦争終結後数十年の間、アラン・チューリングの為したことが知られることはありませんでした。

1952年に風俗壊乱罪(同性愛の罪)で逮捕され、ホルモン投与による化学的去勢を余儀なくされたアランは1954年、41歳で自殺します。エニグマ解読という偉業を為した英雄とは誰にも知られることなく、ホモセクシュアルの数学教授として。

 


その後、20年後の1974年夏、ブレッチリーでの活動が記された「ウルトラ・シークレット」が発売され、チューリング達の業績が世間に知られることとなり、チューリングの名誉回復を望む声が高まることとなりました。その成果もあり、2009年9月10日、戦後のイギリス政府によるチューリングへの扱いについて、首相のゴードン・ブラウンにより公式に謝罪されることとなります。

 

 

劇中で、アランが自分がマシンか、人間か。戦争の英雄か、それとも犯罪者かを問うシーンがあります。劇中で同僚、元婚約者、上司、様々な人から怪物と言われた彼でしたが、少なくとも現代の人間からは、人間であり、英雄として見られているようです。

 

 

追記 何を勘違いしたのか、アランがサヴァン症候群として紹介していましたが、正しくはアスペルガー症候群でした。コミュニケーション不全と1分野に限る能力の高さには相違ないので、修正はしません。

緊迫の100分間「セッション」

 

最高です…Netflix様。最高という他ない。Netflix様が出てきてから世界が変わった気がする。人々は優しくなり、争いはなくなり、世界は安らぎで満ちている気がする。

 

 

無人島に何を持っていきますか?と聞かれたらNetflix様とその媒体とその媒体の可能性を最大限に引き出せる電化製品、家具その他とその可能性を更に最大限に引き出し限界突破させられる最強の家と答えようと思う。

 

 

ささやかな欲を言うならばコンビニ、スーパー、ホームセンター、ファッション関連その他モロモロのショッピングが可能な街の中にその家を構え、シクチョウソンという形で分けられたそれら集合体が1741個存在し、それらを統括するトドウフケン、更にその上には行政(内閣)、立法(国会)、司法(裁判所)というもので紛争や人々の生活の調和を図っていて欲しいと願う。

 

 


更にシェンロンが現れて願いを叶えてくれるとまで言うのであれば

「スーパーなNetflix

とだけ答え、困惑させたいと思う。

「スーパーなNetflix」………なんて甘美で誘致的な響きなんだ…………

 

 


ああ…

 

 

スーパーな……

 

 


Netflixとは………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ファーwwwwそんなもんあるかいなwwwwアルカイダwwwwwファーwwww


ということでNetflixのせいでブレイクタイム中にコーヒーを1日4、5杯は飲んでしまうために、頭がちょっとあれな方向に向かってしまっています、カフェイン中毒がちょっと心配です。
今回もNetflixで観直した映画「セッション」について書いていきます。

 

 

映画「セッションについて」

 

鬼バンマス・フレッチャーと主人公であるドラマー・ニーマンの物語です。
監督はデミアン・チャゼルさん、少し前に話題になった「ラ・ラ・ランド」と同監督で、どちらも監督と脚本を手がけています。

 

初見は映画館で観たのですが、非常に惹きこまれました。映画館で観ていると、大概の映画では中盤程度で一息つくような空気が流れます。しかしこの映画ではそんな空気が流れることもなく、およそ100分間の間ずっと緊迫した状態が続き、最後のシーンまで「集中させられ」ます。その緊迫感こそがこの映画の魅力となっています。

 

その緊迫感を生み出しているのが「鬼バンマスフレッチャー」と「それに怒られるニーマン」の二人であり、観客をこの映画に惹きこむ最大の要因となっています。
観客はニーマンを通し、フレッチャーの怖さと罵声に触れさせられ、「集中状態」を強制的に作り出されていきます。
そのためには怒る方、怒られる方の演技やキャラクター性、また臨場感を感じさせるシーンを撮るための技量が必要とされます。今回はその三つについて解釈をしていきます。

 


1.鬼バンマス「テレンス・フレッチャー」の怖さについて

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このブルドックのような肌のたるみ方をしているのがJ.Kシモンズ演じるフレッチャーさんです。この映画を見た後からこのシワのたるみ方からさえ、怒った時の顔が目に浮かびます。真顔がもう怖いし、笑っていてもいつでも怒る準備万端なような、そんな雰囲気を感じます。

 

 

顔はさておき、フレッチャーの凄まじい恐ろしさの秘訣は「切れ味鋭いセリフ」です。

 

「なぜやめたかに対する答えがゼンマイ式の猿か」

「お前か、漫画くん。」「お菓子は落ちてない、なぜ下を見る?」

「足手まといも限界だ、デブ野郎。音程より飯が大事か」

「お前はお涙頂戴男か?私が虹色に見えるか?」

「バカに電卓を持たせるとリモコンと思う」

などといったセリフが一息つく暇もなく出てきます。

私が個人的に好きなセリフは、「お前、民話の妖精にそっくりだな」です。

 

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 不遇な漫画くんことデブ野郎。彼はほとんどとばっちりでバンドから追放されます。

 

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 民話の妖精にそっくりなライアン君。

 

 

怒る時、「顔が近い」ことも挙げられます。迫力というのは近ければ近いほど力を増すことがよく分かる例です。

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まさに鬼気迫った顔です。
顔を背けていると顔を見ろと言われます。逃れることはできません。

 

以上の二点に加え、「怒鳴り声」という最凶の武器も備えた彼は魔界へ旅立つべきです。

声ホントでかい。 

 

2.ニーマンのひたむきな努力

ニーマンには友達がいません。友達を作るコミュ力があるとかないとかという問題ではなく、彼自身が友達をたくさん作ることより、孤独でも偉大なドラマーになることを選ぶと言っています。


その言葉の通り、どれだけフレッチャーに怒られようと挫折させられそうになろうと必死に努力を重ねます。映画の最大の見せ場の一つ、主奏者を決めるためのレッスンシーンの前では彼女に躊躇なく一方的な別れを宣告し、練習に没頭します。(とは言っても、未練がないわけではない様子も描かれます)そうした努力を重ね、主奏者となった彼は更なる困難を経て、最後のシーンへと繋がります。

 

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 なで肩で、ぼってりした唇が印象的なニーマン。頼りなさげな彼ですが劇中では凄まじい努力と執念を見せます。でも意外と肉厚な感じで力ありそう。

 

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 ニーマンがデートに誘う彼女。とっても可愛い彼女ですが、偉大なドラマーになりたいニーマンは後ほど無下に扱います。

 

 

3.映画の撮り方

各シーンごとに感じたのが「色の演出」と「光と影の使い方」が特徴的だという事です。人間の心理を突いているのか、たまたまそうなったのかはわかりませんが、フレッチャーの怒るシーンでは赤を基調としたシーン、ニーマンが落ち込んでいたりするシーンでは青を基調としたシーンと使い分けています。人間の、「赤は興奮させ」「青は落ち着かせる」色に対する心理を突くように撮っています。

 

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赤味を帯びたレッスン室。

レッスン室で怒っていることが多いので必然的に赤味は多めに。

 

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満身創痍なニーマン。空虚な雰囲気です。

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フレッチャーのレッスン室とは違い、締まりのないナッソーバンド。

 

全体的に色味が統一されていて、場面に重厚さを感じます。金属類の楽器も当然多く出てくるので光の情報量も多くなっています。

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レッスン室の様子。


更にはニーマンの余裕さを表すシーンでは違和感のない程度にスローモーションで再生されていたり、フレッチャーがニーマンに迫るシーンでは画面のブレをわざと起こすなど、カメラワークにもこだわりがみられます。

 

 

最後のシーン

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本当にこのラストの9分間は惹き込まれます。ここまでのフラストレーションを一気に爆発させたシーンとなっていて、その様子を観客は「待ってました」と言わんばかりに食い入るように見つめることになります。


このような今まで一方的にやられ、報われることがなかった主人公が逆襲するという様は本当にワクワクさせてくれます。この感覚は例えば「ロッキー」であったり、例えば「ショーシャンクの空に」であったり、例えば「ドラゴンボール」のような少年漫画にも当てはまるものがあります。

 

ただし、それらと全く違う点はこの最後のシーンでは二人の願いが同時に叶うという点です。一方は「偉大なドラマーになる事」他方は「偉大なミュージシャンを育てる事」二つの願いはこのシーンで結果的に一つに帰結します。

 

その相容れなかった両者が理解しあうようなこのシーンは見ている方もなんだか奇妙な満足感を得ることになります。個人的にはその満足感はこれまで全く消えなかった不安要素、いつ爆発するかわからなかったフレッチャーの怖さが解消され、ニーマンが認められたことで起こりうる満足感ではないかと思います。

 

ある意味ではサスペンス映画に通ずるような不安定な感覚を引き起こしてくれる、そんな映画です。観るときにはしっかりと時間を確保して一気にみたほうがいいかと思います。

 

闘争心を燃やしたい方に

「セッション」、非常にオススメです。

 

生の実感「ファイト・クラブ」

 

 

 

*ネタバレ含みます

 

 

デヴィッド・フィンチャーエドワード・ノートンブラッド・ピット……何を隠そう、僕はこの三つの言葉に吸い寄せられていく性質を持っています。
その性質上、ファイト・クラブは避けて通ることはできない映画でした。何度吸い寄せられ、お金を巻き上げられようと、その引力に逆らう事は出来ませんでした。
TSUTAYAに行く度に「ちょっともう一回観ようかな…」「もう一枚借りなきゃ1枚百円にならないからな…」そう思ってとりあえず借りる映画として「レオン」と並びました。


しかし映画の重厚さはあまりにも凄まじく、そのボリューム感は1日の疲れを何倍にも膨れ上がらせるために結局見ないでお家に帰すことが数多くありました。「ダラス・バイヤーズ・クラブ」も無事にお家に帰って行きました。
そんなファイト・クラブさんもNetflix様のおかげでいつでも手元にあります。Netflixの安心感。おすすめです。電車で観る。重たい。これを観ること自体が濃厚なファイト。電車の中がファイト・クラブになります。おすすめです。

 

ノートンさんの魅力と言えば二面性の切り替えの鋭さだと思いますがこの映画ではそういった鋭さというよりも少しずつ変わっていく様を描いていますね、アメリカン・ヒストリーXみたいな感じでしょうか。個人的な好みで言えばデビュー作の「真実の行方」や偽の障害者を演じる「スコア」の時のような鋭さが好きですが、この時みたいなひょろひょろしてるサラリーマンも痩身なスタイルとよく合ってます。

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想像の世界にいる、セラピー中のノートンさん。この後ペンギンさんと出会います。


ブラピさんは演技スタイルも含め、全身を映すのが非常に様になりますね。ずっとかっこいいのでその「印象を崩さないという演技力」はすごいと思います。痛みに対する狂気じみた演技はとても印象的でした。

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ファイト・クラブ』とは

物質に支配され生きている感覚を得られない主人公(名前がないので「僕」とします)と、生きる悲劇な女マーラ・シンガー、そして自由奔放、型破りな男タイラー・ダーデンの3人をメインとした物語です。
その設定を清々しいほど無視した撮り方をしているのでどう考えても初見ではとてもわかりませんが(感づきはしますが、矛盾しすぎてて確証が得られません)
ぶっちゃけて言いますとタイラー・ダーデンは「僕」の生み出した理想像で彼らは同一人物です。
二重人格系の映画ではありますが全く別人として存在しているようにしているのが特徴的で、映画の中で彼らは同時に存在します。
この映画の見所と言えばこのタイラー・ダーデンのカリスマ性です。
「僕」はそれに巻き込まれていく形で物語は進行します。中盤で「僕」は「タイラーの言葉遣いが移った」と言いながらタイラーのように振る舞います。このように発言力や影響力があるのは「僕」ではなく終始タイラーであり、「僕」がそれに影響を受けタイラーに近づいていく様を描いています。今回はこのタイラー・ダーデンのカリスマ性について紹介していこうと思います。

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タイラー・ダーデンのカリスマ性』

その1.タイラー・ダーデンという名前
かなり主観的ですが、まず名前がかっこよすぎます。タイラー・ダーデンって!かなり独特で素敵な響きです。この響きも彼のカリスマ性に大きく貢献しています。彼の名前がマイケルだったら?トムだったら?個人的にはちょっとインパクトがないと思ってしまいます。五感のひとつでイメージに直結する音(名前)は非常に大事です。この点からすでに作者のこのキャラに対する愛着が伺えます。


その2.物語の核となるタイラーの最小限主義(ミニマリズム
人はどういう人に惹きつけられるのでしょうか?人それぞれの答えはありますが、万人に共通しているのは、人は自分と本質的に同じタイプの欲望を再現した人に惹きつけられるということです。
極端な例ですが、平和を望む人ならマザーテレサに、強さを望む人ならマイク・タイソンに、ポップスターに憧れる人ならマイケル・ジャクソンになど、自分のやりたいこと、なりたいものになっている人に惹きつけられます。そして自分自信がその願いを叶えられるならば、誰しもそうなりたい、そうしたいと願うでしょう。
この映画ではそれがもっとわかりやすく、身近に描かれています。最小限主義であるタイラーは生きている実感を得られない人々に対するカリスマ性を持ちます。
なぜなら彼はその人々の欲望、「生きている実感」を得ることがを出来ていて、さらに彼らにもそれを再現させることが出来るからです。その方法はシンプルで、「痛みと直面すること」によって成り立ちます。

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痛みの重要性を説くタイラーさん。

彼は「スタイル」の提唱者です。「こうやって生きることが本当の生きるってことだ」と、「必要なのは痛みと直面することだけだ」と提唱しています。
そして彼は物に囲まれ、社会に縛られ、生きている実感を得られずにいる人々に対して「ファイト・クラブ」を提供し、痛みを感じさせることによって同時に生きている実感を与えます。そこに必要なのは勝敗ではなく、一方的な暴力でもありません。必要なのは「痛み」だけであり、万人に共通する感覚です。その為、社会的な地位も物質の充足も関係ありません。必要なのは痛みを感じられる体だけ。これこそタイラーのスタイルとなる、「最小限主義」を支える最も重要な点です。


その3.徹底的に「スタイル」を貫いている
映画の中盤、いつもファイト・クラブが開催されるバーの地下倉庫にオーナーが訪ねてきます。「誰の許可を得ているんだ」と彼は言い、タイラーはボコ殴りにされます。しかし、ここで彼は決して反撃をしません。それどころか殴られながら狂ったように笑い出します。生を実感しているのです。

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このように非常に楽しそうです。

このシーンから彼はファイト・クラブの中で尊敬を集め、リーダーの地位を確立し、メンバーに対して「宿題」を出し始めます。その「宿題」の内容は「痛みを感じること」か、「物質主義社会を否定すること」に関連しています。それから彼は毎週メンバーに宿題を出すようになり、内容は次第にエスカレートしていきます。最終的に宿題はメイヘム計画へつながり、物質主義社会とそれを担う経済社会をぶっ潰すためにクレジットカード会社を爆破する計画を立てます。以上のように、彼は必ず「痛み」か「物質主義社会の否定」を劇中で行っていきます。

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リーダーとしての地位を確立するシーン


ファイト・クラブ」の私自身の解釈
タイラーはなぜ?とよく問います。彼が必要としているのは生き残るための情報です。生存に関係ない言葉や物に価値を見出しません。彼には社会から独立した感性があります。
そこに私は原作者であるチャック・パラニュークや監督のデヴィッド・フィンチャーのメッセージ性を感じます。
彼らが伝えたいことは物質主義の否定ではなく、本当に求めていることが何なのかを探ることであると感じます。何に対して生きている実感を感じるのか?タイラーであれば「痛み」でありましたが、それは人によって様々です。
現代社会では物が溢れているために本当に欲しいものではないものを求めてしまうことがあります。それは企業の売り文句であったり、周りの人々による影響であったりと色々な形で意思に反したことが起こりうるためです。
劇中の中で主人公の「僕」は会社の中で上司との自作自演乱闘事件を起こす際にこう思います。「この男が疑問にも思わずやってきたこと、それが悪を生んできた」と。
何かを売る側は本当に色々な策略を立てて製品を売ろうとします。それは資本主義社会においては必要不可欠なものですがしかし、それのせいで自分の人生をコントロールされていいのでしょうか?個人的にはそうなりたくはありません。
自分が何を求めているのか。自分の中の感覚を探り、本当に欲しいものを手に入れ、生きていることを実感しようというメッセージが、この映画には詰まっているように思います。


ファイトクラブは考えれば考えるほど面白い作品です。しかし、どうしても解けない謎がマーラ・シンガーの存在、それに「僕」が彼女を好きだと感じ始める理由です。タイラーがマーラを抱くのは「どん底まで落ちる女だから」ですが、「僕」はタイラーが自分自身であると気づくまでは彼女に嫌悪感をあらわにしています。しかし、その事実を知った直後から彼女を愛し始めます。ここがよくわかりませんでした。どん底まで一緒に落ちたいと思ったからなのか、彼女が「僕」のネガティブな部分を現しているからなのか、いくつか考えられる理由はありますが、確かとできるだけのセリフやシーンが見つかりませんでした。個人的にまた私が見直す時にはその謎を解くべくまた観ようと思います。

ルールその8.『ファイト・クラブに初めて参加したものは、必ずファイトしなければならない』

これは私たち鑑賞者に向けたメッセージかもしれません。

オタクな天才「ソーシャル・ネットワーク」


二週間ぶりに唐突ですが当然に答えを即予測できるこれ以上にないほどに簡単な質問を今から皆様に投げかけますので即答してくださいよろしいでしょうか?

いきます。


ビル・ゲイツ本人に次世代のビル・ゲイツと言わせしめたこの人が創った会社の名前は?!!?!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Facebook!!!!!!!
そうです、あの有名なFacebookです。カタカナでは「フェイスブック」と書きます。

今回紹介するのはこのお方の実話をもとにしました、「ソーシャル・ネットワーク」です、演じるのはこの人!
ジェシー・アイゼンバーグ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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似てない!!!!!!!!!!!似てないぞ!!!!!!!!

なぜ選ばれたのか謎なくらい似てません、まぁそもそも似させるつもりもなかったのかもしれませんけども。
ジェシーさんは最近ではグランドイリュージョンとか出てますね、その時はこんなに

 

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かっこいいです。

 

しかしデヴィット・フィンチャー監督の手にかかれば… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 間違ってないです、映画的には。

 

この映画は起伏のある物語性とか感動とかといったドラマを描いているわけでもではないので、人によっては分かりづらい映画に分類されるかと思います。エンターテイメント性の高い映画が観たい時には向いてません。そういった映画がお好きな方はデヴィット・フィンチャーさんの世界観は某テーマパーク中の待ち時間のように感じると思います。しかも二時間待ちして乗るのはアクアトピアです。
個人的にはフィンチャーさん大好きですがアクアトピアは好きじゃないです。
それでは「ソーシャル・ネットワーク」ご紹介しましょう。

 

 

 


ソーシャル・ネットワーク」とは
Facebook創設者であるマーク・ザッカーバーグの伝記映画です。しかし、事実そのままではなく、大いに脚色が施されています。どの辺がどうなっているのかという事は詳しくは述べませんが、真実性についての問題点はガン無視し、あくまでこの映画一本を評価したいと思います。

 

過去の出来事(Facebook創設までの道筋)と現在の出来事(裁判の様子)が交互に映し出されていきます。この映画は全体的な構造を知った上で、個々のシーンを切り取って観ていくのが面白いです。というのも現在があって、回想が展開されているのでもう既にどうなっていくかはわかっていますし、意外性はあまりないので楽しむべくは「演出」の方なんだと思います。

個人的にすごくお気に入りなシーンは『冒頭の5分』と『オープニング』とその後の『ハッキングの様子』です。この三つだけでなんども観たくなりますね。度々ある『パーティの様子』も好きです。このへんの魅力はまた後ほど。

 

マーク・ザッカーバーグという天才の魅力』
冒頭の5分で彼は優秀さゆえの傲慢さによって彼女にフラれるという内向的オタク気質型天才であることを観賞者に印象付けます。このタイプの天才ですが、会話の流れを意識することなく自分の興味関心の対象を唐突に話し出すので
聞き手はついていけず置いてけぼりにされます。しかも言いたいことは細かい点まで知識に裏付けされかつ理路整然とされていて、目指すべきところ(マークで言えばファイナル・クラブに入ること)もわかりやすいです。

 

問題なのはその「分析力」

このタイプの天才の魅力であり、かつ弱点でもあるのですが物事の因果関係がはっきりと整理されている為に、客観的事実から話をします。その為、度々人に対する配慮が欠けた物言いをして怒らせてしまいます。

 

「エリカ(彼女)は勉強してもしなくても大した違いは生まれない」→「なぜならボストン大学だから」この言葉からザッカーバーグの考えを予測すると、「ボストン大学からは偉人生まれていない」というデータからの発言だったのだと思います。
とは言ってもその偉人の観点はザッカーバーグの主観の域を出ません。ちなみに僕が調べてみて知っていたボストン大学出身者はキング牧師ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領)です。うん…ある意味すごいです。
ただ、彼の目指しているようなCEOとかクリエイターやアメリカ大統領はやはり出ていないみたいですね。

 

このタイプの天才の面白いところは「そのオタク的知識と病的な意欲さで何をしてくれるのか」という期待です。劇中、彼はその期待を裏切ることなく自由奔放かつ凄まじい集中力を見せてくれます。

ある事件で大学の理事会に呼びだされた時はサンダルで出向き「サーバーのセキュリティの欠落を示した」と全く反省の色を見せなかったり、訴訟の事実確認の段階では落書きで暇をつぶして見せたり、「Facebookの事以外は考えたくない」とまで発言します。

 

反面、行動する時にはフラれた直後のアイディアをハッキングを駆使して一晩で実現したり、友人の何気ないちょっとした一言を聞き漏らさず取り入れたり、36時間ぶっ通しでコードを打ち込んだりといった行動力を見せてくれます。

 

しかしそんな能力のある彼の最もチャーミングな点は、「フラれた」事を忘れるために頑張っていることです。元カノのエリカの影響は所々で見られます。Facebookを作るきっかけ(ウィンクルボス兄弟に出会うきっかけ)になったのもエリカ、他大学までFacebookを広げるきっかけになったのもエリカ、ザッカーバーグが憧れるショーン・パーカーとの会話で思い出されるのもエリカ、最後に「Facebookする」のもエリカです。非常に人間味があります。

彼の「人間味」はとてもわかりやすいです。友人に対して嫉妬している時もあからさまに誤魔化すようなセリフを吐きますし、実力者に憧れの感情を伴っている時も明らかです。そんな実力と行動力、それに人間らしさを持ったナード(オタク)な彼を焦点に当て、映画は進んでいきます。

 

『全体的な色彩像』
この映画は全体を通してとても『シック』です。大学内の建物は歴史を感じさせ、登場人物が着ている服も色彩にどこか暗さを伴っています。
もっとも印象的なのは影の使い方です。全体的に色調は抑えめで、かつ影の作り方が非常にカッコいいです。

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このように顔の半分を影にすることが多いですね。個人的に大変好みです。女性が。

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とてもかわいいです。

 

光原の採り入れ方もとても美しいですね。例えば『オープニング』のシーンです。

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黒と黄、それに光原の感じがとても綺麗です。

 

 

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このシーン、フィンチャー監督らしいです。

光原は後ろに、カメラは手前から。この撮り方を作中でもよく使います。

 

 

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部屋の中のシーンも暗めです。間接照明最高です。その暗めの中で所々ついている照明も存在感があります。


現実でこんなに照明がついていたら不思議に思うところですが、映像にするとちょっと気づきにくいかもしれませんが、とても雰囲気が出ていますね。
自分の部屋にもっとムードを出したければ採り入れてみたらいいかもしれません。
ちなみに豆知識ですがクリエイティブなアイデアとかいつもと違った考えは暗めの雰囲気の方が頭がぼーっとして浮かびやすいらしいですね。かつ天井に高さがある方がいいそうです。

 

と以上の二点がこの映画を面白く感じる個人的な「二大要素」です。


ここではこれ以上詳しくは書きませんが、これに加えてオープニング時の期待感と哀愁を感じさせる音楽やハッキング時の躍動感あふれる音楽の魅力、それにクリエイティブを追求していくストーリー性なども相まってとても完成度の高い作品になっています。特に、社会的に何かクリエイティビティのある物を作っていく過程は観ていて自分もやってみたいと思わせてくれます。

 

ただ、デヴィット・フィンチャー監督本人も言っていますがこの映画は「最初の5分間」のペースが淡々と続いていきます。そのため、注意力を存分に発揮し細かい点を見逃さずに捉えることができないと魅力は半減してしまうかもしれません。なのでさらっと観てから細かいシーンを観ていくと存分に楽しめるかと思います。

 

最後にとても可愛く綺麗なエリカ役、ルーニー・マーラちゃんがフィンチャー監督の手にかかるとどうなるか。次回作の変貌ぶりをご紹介して終わります。

これが

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こうなります

 

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おい!!!!!!!!!!!!!!

 

〜終わり〜

なんとなく観たくなる コーヒー&シガレッツ

 

なんとなくテレビをつけておきたいがちゃんと観る時間もないし、選ぶ元気もないし、もはやなんとなく流れていればなんでもいいしなんならもうかかってなくていいという程追い詰められて指一本動かすことさえも敵わないほど疲れ切っている皆様方に圧倒的な力をもってしてオススメしたい映画といえばこれです。

 

「コーヒー&シガレッツ」

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これだけかけておけばもう問題ありません、あなたのなんとなくテレビをつけておきたい欲求は100%満たされることになるでしょう。
この映画を真面目に90分間、ひたすらにスクリーンを眺める必要はおそらく『中年男性のちょっと出ている鼻毛』程度しかなく、従って私たち鑑賞者は中年の上司に怒られている時になんとなく鼻毛を眺めている程度の力をもってして観賞するだけでいいのです。

「鼻毛を抜いてくれないと話に集中できない」と思っている時、もはや怒られているのか鼻毛を見せびらかされているのかもわからないと困惑してしまう事はおそらく全人類の意見に相違ないと思われますが、それくらいこの映画は話を聞く必要がないと言ってもいいほどです。もちろん話は聞いた方がいいので、そういう点でも鼻毛を気にするより、怒られている内容を聞いた方がいいことも言うまでもありません。名残おしいですが、そろそろ非常にどうでもいい鼻毛の話は終わりにして本題の映画に移りたいと思います。

 

「コーヒー&シガレッツ」とは
映画が好きな人であれば、できる限り映画に近い日常や体験をしたいものでしょう。それをすごく近しい形で叶えてくれる映画がこれです。
主に喫茶店を舞台に二人ないしは三人の登場人物が会話をしている映画です。
舞台は喫茶店の枠を超えませんが、著名なミュージシャンや(イギーポップやトム・ウェイツthe white stripes)著名な俳優(ロベルト・ベニーニスティーヴ・ブシェミ、ケイトブランシェット)が多数出演しています。
11のシーンに区切られていて、1つおよそ5〜10分ほどです。よく、「白黒の映像の中で、洒落た雰囲気を纏いながらコーヒーとタバコを嗜みながら登場人物がとりとめもない話を延々としている映画」と言われがちですが、それだけではない隠された魅力が詰め込まれています。

 

この映画について監督のジム・ジャームッシュは「気楽に撮ったし、気楽に観てほしい」とコメントしています。
そのコメント通り、この映画は随分肩の力の抜けた映画となっています。映画というと素晴らしい筋書き、大掛かりなアクションや不気味に流れる不穏な空気、お洒落で魅力的なシーンや感動的なストーリーなど、エンターテイメント性が高いものが多く、それというのも映画を娯楽とするには日常を離れた、もしくは日常の中の隠れたロマンを描き出す必要がある為でありますが、この映画はその隙間を縫うようにして限りなく日常を描いて、それがむしろ新鮮かつ、面白いと感じられる仕掛けになっています。

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 (上からの図、ジム・ジャームッシュさんはこのチェック柄のテーブルを上から撮るのが気に入っていたそうです)

 

 

この映画に絶対に欠かせない要素が二つあります。

一つ目は「豪華な俳優陣」です。この点こそがこの映画を魅力たっぷりに描き出す要素となっています。もしこれが名の知れていない俳優、ミュージシャンが演じていたらこれほどの魅力は出せなかったでしょう。そもそも監督の意図の1つに「キャスティング」があります。この映画は彼が「面白い」と思うキャスティングを実現しているんです。例えば「イギーポップとトムウェイツ」これだけですごく個人的には興味が出ます。(ちなみにこの回、トムウェイツがなんだかイライラしているのは撮影の前に脚本が面白くない、どこが面白いのか言ってみろと言うほど怒り狂っていた為。そしてその雰囲気をわざと残したそうです) 

 

二つ目は「日常的なシーンを撮っている事」です。「違和感なく日常から離れている」と先述しましたがこの言葉の真意は「豪華な俳優陣」が「日常的なシーンを撮られている」という点です。これが「一般人の日常を映した映画」であれば誰の興味も惹かないでしょうし、「豪華な俳優陣」が「ドラマチックに撮られている」のであれば他の映画と遜色ありません。「著名人の日常的なシーン」を描いているからこそのシュールさが魅力なのです。全員が全員著名人ではないという点も更にリアリティを増す要因になっています。

 

演者の名がそのまま使われていることも彼らの等身大を描いているように感じられます。もちろん脚本はあるそうですが、監督は演者のアドリブやアイデアを歓迎していますし、そういう点もより彼を等身大に感じられる要因になっているのでしょう。さらに舞台は喫茶店であるということ、そのことからも親しみやすさを感じられ、私たち「鑑賞者」と「画面の中の彼ら」の境界は限りなく少なく、コーヒーとタバコを用意すればより彼らに近づくことができます。このシュールな映像の中に自らを投影できる魅力こそがこの映画最大の持ち味です。簡単に言うと「ムービースター、ミュージシャンが近くでお話ししてるみたいで素敵!」ってなります。

 

ということで演者のことを何一つ知らないと、白黒でシンプルな感じがむしろお洒落でいい感じだよね〜⭐︎なんて感じで終わってしまいます。まぁでも監督自身が気楽に観てくれよって言ってますからその見方で全く差し支えないわけですが、より楽しむためにも一応何人か演者さんを紹介して終わりにしましょう。

 

以下話順です(載せてない話あり)

「変な出会い」(STRANGE TO MEET YOU)

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ロベルト・ベニーニ(右)(俳優)

 「ライフ・イズ・ビューティフル」にてアカデミー主演男優賞受賞

 

「双子」(TWINS)

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スティーヴ・ブシェミ(中央)(俳優)

 「レザボアドッグス」「パルプフィクション」 「90年代に最も仕事をした俳優」ランキング4位

 

「カリフォルニアのどこかで」(SOMEWHERE IN CALIFORNIA)

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イギー・ポップ(左)(ミュージシャン)

 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第75位
トム・ウェイツ(右)(ミュージシャン) 

 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第82位

 

「いとこ同士」(COUSINS)

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ケイト・ブランシェット(女優) 

 「エリザベス」シリーズ、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ 出演

 

「ジャック、メグにテスラコイルを見せる」(JACK SHOWS MEG HIS TESLA COIL)

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メグ・ホワイト(左)(ミュージシャン)
ジャック・ホワイト(右)(ミュージシャン) 二人で「WHITE STRIPES」というバンドで活動していた。アルバム三枚がグラミー賞受賞(現在は解散している)

 

「幻覚」(DELIRIUM
 

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ビル・マーレイ(俳優) 

  「ゴーストバスターズ」主演

 

こんな感じで意外と名の知れた人たちが出ています。
ぜひコーヒーとタバコを用意して、何気なく観賞したら喫茶店にでも赴いてくださいまし。

 

あ、ちなみに映画については二週間に一回、金曜か土曜に更新していく予定ですのでよろしくお願いいたします〜。

はてなブログに投稿する個人的見解によるはてな解明日記

完全にタイトルにこのブログのコンセプトを集約しましたのでご理解の早い皆々様方はもうこれ以上は蛇足と思われるに違いありません申し訳ありません。

 ですが情報社会化によるF1レース並にスピーディな検索機能、それによる娯楽発見の可能性並びに堕落の危険性にサラウンドされ、まんまとそれに陥っている私では自分の軟弱な言葉を引き算の美学をもってして発信することに不安を感じているのです。

 

『これだけではまだ趣旨を理解されていないのではないか、このままでは自分の言いたい事は1ミリパーセントも伝わってない為に、このブログを自分が開くたびに累計されていく1カウント〜完全なる日記の爆誕〜となりかねないのではないか』と余計な思考を辿ってしまっているので、もうすこしだけ詳細にお話しします。

 

 このブログのコンセプトは「何故」です。「はてな(?)」とも言い換えられます。

何故こう感じるのか、何故そうなるのか、何故何故何故何故なzendasdfenfくぁぁぁ…  完全にうざいやつですね申し訳ない、よく怒られます。ですが僕はこの「何故」に非常に興味がありますので、それを「個人的見解」により解明していきたいと思いましてこのブログを始めました。

主に取り上げようと思っているのは

・映画

・音楽 です。

 映画では私がもう1度観たい!と思ったものを何故もう1度観たいと思うのかという事を御託を垂れながしながら解明し、音楽ではこの音楽はどこが良くて、何故聴きたくなるのかという事をくどくどと、フルパワー100%中53%の力をもってして紐解こうと思います。

 そしてですね、申し訳ないのですが私以外の75億9999万9999人の方々の好みは全く無視して、自分の好きな、または興味のある物事を全力で取り上げては忘れてく完膚なきまでに独善的なスタイリッシュさを追求していこうと思いますので謹んでよろしくお願い致します。

〜日記爆誕〜